邪悪な時代。

ローマ人の手紙。

私たちが肉にあったときは、
 律法による数々の罪の欲情が
 私たちのからだの中に働いていて、
 死のために実を結びました。

 
しかし、今は、
 私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、
 それから解放され、その結果、
 古い文字にはよらず、
 新しい御霊によって仕えているのです。

 
それでは、どういうことになりますか。
 律法は罪なのでしょうか。
 絶対にそんなことはありません。
 ただ、律法によらないでは、
 私は罪を知ることがなかったでしょう。
 律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、
 私はむさぼりを知らなかったでしょう。

 
しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、
 私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。
 律法がなければ、罪は死んだものです。

 
私はかつて律法なしに生きていましたが、
 戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。

 
それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、
 かえって死に導くものであることが、わかりました。



あなたがたは心を騒がしてはなりません。
 神を信じ、またわたしを信じなさい。

 
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
 もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
 あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

 
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
 また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
 わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 
わたしの行く道はあなたがたも知っています。」


聖書。ペテロの手紙。

彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを
贖ってくださった主を拒否しています。自分の身に速やかな滅
びを招いており、しかも、多くの人が彼らの曲がった道を見習
っています。


彼らのために真理の道はそしられるのです。


彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。
このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされてい
て、彼らの滅びも滞ることはありません。


神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って
地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。


また、神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に
洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさっ
たのです。また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽
くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさ
いました。


しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされ
ていた正しい人ロトを、助け出されました。
なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎
日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。


主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者
たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておら
れます。特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威
を侮る者たちを、そのように扱われるのです。


彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしって
はばかりません。


天使たちは、力も権能もはるかにまさっているにもかかわらず、
主の御前で彼らをそしったり訴え出たりはしません。
この者たちは、捕らえられ、殺されるために生まれてきた理性
のない動物と同じで、知りもしないことをそしるのです。


そういった動物が滅びるように、彼らも滅んでしまいます。


この者たちは、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧であって、
彼らには深い暗闇が用意されているのです。


彼らは、無意味な大言壮語をします。
また、迷いの生活からやっと抜け出て来た人たちを、肉の欲や
みだらな楽しみで誘惑するのです。


その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自身は滅亡の
奴隷です。人は、自分を打ち負かした者に服従するものです。


わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚
れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら
、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。


彼らは、無意味な大言壮語をします。また、迷いの生活からや
っと抜け出て来た人たちを、肉の欲やみだらな楽しみで誘惑す
るのです。その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自
身は滅亡の奴隷です。人は、自分を打ち負かした者に服従する
ものです。


義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から
離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによ
かったであろうに。


ことわざに、
「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」
 また、
「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」
 と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているので
す。



ダビデの祈りが聞かれなかったことは、悔い改めそのものが罪の赦しのための
機械的なものではないことを意味します。

罪が赦されるためには、確かに悔い改めを求められますが、
しかし、悔い改めの罪の赦しを引き出すような価値なものが見られるか。


悔い改めたから神は私の罪をゆるさなければならない、などということはありません。

罪を赦すのは神ご自身であり、罪を深く悟り、真実に悔い改めることができるのは、
神の側からの恵み深い赦しを聞き、それを信じて受け入れることによってです。



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真さんのブログはこちらに移転しました。

http://d.hatena.ne.jp/sito88/?_ts=1271212111

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http://www.youtube.com/watch?v=kGX7m5wZh14

キリストの誕生

http://www.youtube.com/watch?v=uuVRKvav0v0&feature=related

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エスの復活。

http://www.youtube.com/watch?v=5gdZcqLttKE&feature=related

聖書! イエスとサマリヤの女

http://www.youtube.com/watch?v=eoLvc_Dekds&NR=1

天地創造

http://www.youtube.com/watch?v=LB_y8tuRFBg&feature=related

ノアの箱舟

http://www.youtube.com/watch?v=t7DOMlERccs&feature=related

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聖書。

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http://69050741.at.webry.info/201004/article_5.html  

覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。

わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。